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奥日野のたたら製鉄

たたら製鉄の流れ(近藤家の場合)

<監修:伯耆国たたら顕彰会>

鳥取県 たたら製鉄の流れ 1かんな流し(c)chiikimirai

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鉄穴流かんななが

上流の溜め池から山沿いに水路を設け、土 砂を崩して流し、比重の違いを利用して砂鉄を採取した。(比重選鉱法)夏場は水を稲作に使うため、秋の彼岸から半年、行った。

●砂鉄は大きく分けて真砂砂鉄と赤目砂鉄の 2種類。採取する場所によって性質が異なるの で、各鉄穴の砂鉄(山砂鉄)、川砂鉄、浜砂鉄を目的に応じて調合して使用した。

●砂鉄は山内の「砂鉄洗い場」で再度選別し、純度を80〜 85 パーセントくらいまで高めた。

鳥取県 たたら製鉄の流れ 2炭焼き(c)chiikimirai

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炭焼き

砂鉄を熔解還元させるために広葉樹を伐採し、土窯で薫焼して炭を作った。 たたらには普通の燃料用と比べて炭化不十分な「大炭」が、鍛冶屋用には「小炭」が使われた。

●操業一代(ひとよ/1回)分の炭を作るためには1.5 ヘクタールを要した。一度伐採したら30 年以上を経ないと同じ場所で次の伐採ができないので、たたら製鉄を営むた広大な山林が必要であった。

鳥取県たたら製鉄の流れ3 たたら操業(c)chiikimirai

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たたら操業

操業一代(ひとよ)は鉧(けら)押しの場合、3日3晩。この間交代で仮眠を取りながら作業に当たった。 一代に要した砂鉄と大炭は、各々14〜15トン。操業は多い場合だと、年60回も行われた。

 小鉄七里に、炭三里 

このように大量の原料を必要とするため、たたらの打ち込み(新設)は砂鉄が7里(約28キロメートル)、炭が3里(約12キロメートル)の範囲で確保できる場所を採算の目安とした。

■山内(さんない)
高殿や鍛冶場、大場などの製造施設や手代小屋(事務所)や倉庫、それに職人や家族たちが3~4世帯ずつ暮らす小割長屋 などで「山内」が形成され、数年~十数年のスパンで移動した。

■たたら製鉄の原理
高温の炉に木炭と砂鉄(酸化鉄/Fe2O3)を投入し、中で発生させた一酸化炭素(CO)が、安定した二酸化炭素(CO2)になろうとする働きを利用して、砂鉄の酸素分を奪取させ(還元反応)、鉄を取り出します。

鳥取県たたら製鉄の流れ4 鉧出し(c)chiikimirai

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けら出し

操業を終えて炉を壊し、鉧を引き出して鉄池で急冷したものを「水鋼」、自然に冷却させたものを「火鋼」と言った。

鳥取県たたら製鉄の流れ5 大どう場(c)chiikimirai

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おおどう場

2.5〜3.5トンもある鉧は、水力や人力によって高所に持ち上げた重い分を一挙に落下させて割った。

鳥取県たたら製鉄の流れ6 大鍛冶場(c)chiikimirai

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大鍛冶おおかじ

鉧をさらに細かく割り、10数種に分別。玉鋼はそのままで出荷、鉄さい(ノロ)は廃棄、それら以外の銑などは大鍛冶場で小割鉄とした。

●本場
大鍛冶錬鉄場。その長を大工と言い、常時4人の手子が鎚を振るって成形し、小割鉄とした。
●左下場
銑を火窪で熱し、炭などの雑挟物を除き同時に含量を減して本場に回す下げ鉄(地鉄)をつくる作業場。

鳥取県たたら製鉄の流れ7 大阪鉄店(c)chiikimirai

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大坂鉄店

天保7(1836)年に開設されたこの店を拠点として、直販態勢で全国へ販路の拡張をはかった。幕末の頃は10名余りの手代を置 き、営業活動に伴って鉄の需要や景気の動向など、各地の情報を収集。たたら廃業後、昭和18年までは輸入特殊鋼の販売を行った。

 運搬輸送 
明治20年頃まで、製品などの陸送手段はもっぱら馬。岡山県の新見からは川舟で、玉島からは瀬戸内海を帆船で運漕した。

●大坂出店と根雨本店の間では飛脚による頻繁な情報交換がなされ、また各鉄山との間でも文書のやりとりが頻繁になされ、近藤 家に多くの古文書が残されているのはそれ故でもある

奥日野地域(鳥取県日野町・日南町)で、約100年前まで営まれ続けた日本古来の製鉄法が「たたら製鉄」である。

たたら製鉄とは、花崗岩かこうがん(※)などの砂礫(※)の中にわずかに含まれる砂鉄(酸化鉄)を原料とし、木炭と共に炉に投入して燃焼させ、高温の炉内で一酸化炭素を発生させることにより酸化鉄を還元して鉄(鋼)を取り出すという方法のこと。

朝鮮半島から伝わり、日本では古墳時代後期(6世紀ころ)から始められたと考えられている。

奥日野地域では良質な砂鉄が採れ、燃料となる豊かな森林に恵まれていたことから、古くより刃物に適した良質の鋼を生産し、特に幕末から明治中期にかけてたたら製鉄は盛んであり、日本の鉄産業のほとんどを担って、国の近代化を支えた。

その後は鉄鉱石とコークスと呼ばれる火力の強い燃料を用いた近代製鉄法が主流になってきたことから、大正時代にはその歴史に幕を閉じた。

現在でも奥日野地域では500ヵ所以上のたたら場の跡を確認することができる。


※花崗岩:火成岩の一種。山陰では純度の高い砂鉄を含んだ花崗岩を採ることができた。
※砂礫:砂や小石。

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